「母が事故で突然いなくなった日」20151213
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
2015年12月13日...
その日は、母が大ファンの羽生結弦選手がまた歴代最高点を出すのではないか!という
日本中が歴史的な瞬間を期待した日であった。
海外での大会なので昼には結果はわかっていた。インターネットが使えない母にすぐにその結果を伝えてあげようと思ったのだが、夜の放映を楽しみにしているだろうとやめておいた
....電話すればよかった
夜の8時ごろ、実家から電話。母が羽生選手が連続最高点の歴史を塗り替えてる!と
興奮して電話してきたと思った
「ママよかったじゃ〜ん!」と携帯取るなり言ったのだが、電話の相手は母と同居の兄だった
「お母さん死んじゃったよ、交通事故で死んじゃったよ」
こういう時の返事の仕方ってあるんでしょうかね
「何言ってるの?本気で言ってるの?」とかなんとか、なんとなく言った感じ
兄は冗談を言う人ではないし、私に電話かけてくることは今まで一度もなかったので
嘘ではないことはすぐにわかった
あとは頭の中の脳みそが大荒波の海のように荒れ狂っている感覚を覚え耳鳴りがし、
とにかく実家に向かわねばと。
幼い子供たちに「慌てないでね、おばあちゃま交通事故にあったみたいだから、ちょっとお留守番してて」とだけ精一杯言った感じ
元夫は仲間と飲んでいたので訳を話してすぐ帰るように伝えた
あとは、タクシー捕まえて2万円くらいの距離を、走っている間ずーっと
車内でぶつぶつなんか言ってたような記憶
行き先は母が搬送された病院。実家からかけ離れた場所にある病院。
なんでこんな遠い病院に連れてくるんだろうか、すごく憤った。
もし、近くの病院なら死なずに済んだかも。
なぜなら母は近所を散歩中に事故に遭ったから
「あの日」は「人生で一番衝撃的で忘れることはーあり得ない日ー」にもかかわらず
自分でもびっくりするほど多くのことを冷静に淡々と考え頭の中を整理していた
取り乱して、大騒ぎして、大泣きして、加害者を罵って、我を忘れるほど錯乱したら
その後の私はどうだったのだろう
もしあの時、感情をもっと剥き出しにしていたら、その後に全身で感じた
自分の存在はどこにある?と言う浮遊した感覚の「所在なさ」を感じることなく
そして、頭痛と鬱を何年間も抱えることなく過ごせてたかもしれないのではないか...
あの日は「衝撃的」で「私の死生観」「私の人格」に影響を与えた
「記憶に“激しく”残っている、あの日」となった