アラフィフ「離婚」:「新生活」
「新生活」
離婚前後のあの当時の自分は、今でも想像できないほど気持ちが張り詰め
1秒も「リラックス」という気持ちを持つことはできませんでした
夜寝るのも怖く、ベッドに入るときは覚悟して入りました
16年ぶりの仕事は、教えてくださる方々にとっては、私は異星人でした
面白いほどトンチンカンだったようで、平気で私の目の前で私を嘲笑し、指を指して大笑いする人もいました
(この職場は、新人いじめがひどく、私の同期は一人残らずやめました、毎年ほとんど残りません)
ただ、お金を稼がねばならない、
頼る人はいない、
子供に簡単に諦めるな!と言っている手前、嫌だからと言って、
母がそう簡単に辞めるわけにはいかない
辞めることなく続けられ、いい意味で根性を鍛えられるきっかけとなりました
私だけでなく、子供達にとっても、なぜ父親不在の生活が急に始まり、引越しの理由もわからないまま、母のこわばった顔を見ながら引越しをするのか...
しかし、彼らは、文句言わずによくついてきてくれたと思います
引越し当時、高一だった長男は部活に楽しみを見出し、少しづつ勉強をするようになり、
一所懸命彼なりに、ぽっかり空いた穴を埋めていたと思います
その穴埋めは、今も続いているのかな、と思います
次男は、中高一貫の中学校に進学したばかりだったので、兄のように学校に楽しみを見つけることもできず、周りの子供達は成績が良いと、自分に劣等感を抱いたようでした
中学校は、子供達それぞれ不安の中、自分の居場所を探し始める時なので
子供同士ぶつかり合うことが多い、と思います
次男は平和主義なので、そういう環境がしんどかったようです
何度か、転校したいと言いました
私は、一度長男が中一の時に、辛いから部活やめたいと言った時「何のためにその学校に入ったの!?」と我慢させてしまいました。
彼は、「ママは助けてくれないんだ」、そう思ったようです。彼は、とても素直ではありますが、なんとなく「鎧を着てる」そんな様子を感じることがあります。
そんな経験があるので「次男にはやめてもいいよ」と言いました
彼は「何となくもう少し頑張る」と言いながら、そのうち気の合う仲間を見つけ、優しい仲間に囲まれて、高校に進学し入部した部活を楽しみ毎日遅くまで頑張るようになりました
子供達も、私と同じように、苦しみながら自分の居場所を懸命に模索していました
今、離婚から2年の月日が経って、こうして私も自分の話を、気持ちを整理するためにも、人に話せるようになりました
元夫の名前が書いてある封書を見ると、どうにもならない怒りが込み上げ、印刷された文字に顔が歪み、心臓が爆発しそうになるほど嫌だったのに、今では私から「パパこうだったね」と子供達に話題を投げ掛けられるほどになりました
『時間が全てを解決するわけではない』けれど....
悩み苦しんで出した答えは、人を憎んだり悪く言ったり、文句言ったり、落ち込んだり....
ネガティブでいる時間はもったいない。
1日24時間しかないのだから、楽しい気持ち、幸せな気持ちでいる方がずっとお得、
ということです
私は、50歳すぎて離婚したけれど、経験が教えてくれた
「苦しむこともいっとき」「人を憎んでも何も解決しない」
そのことを知っているから、ここまで来れたのかなとも思います
一概には言えないけれど、どんな境遇でも自分で人生を、生活を、良い方に変えることは絶対にできると思うので、「離婚」をマイナスと捉えなくてもいいのかな、と思っています