アラフィフ『離婚』大変よ、でもストレスフリーで気分晴れ

52歳で離婚 辛い 大変 でもこれで良かったかな 子供達とペットと笑顔で暮らせるようになるまで日記

アラフィフ離婚:「必要、でも面倒な手続き」

 

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how complicated these procedures are

 

「離婚」にあたり、

「子供達のこと」「16年も馴染んできたこと」を理由に苗字を旧姓に戻すことはしなかった

多分それが、多少は各種手続きを軽減させたかもしれない、と思いつつ...

 

ー親権


 元夫の頭の中は、今の新しい奥さんとの新生活が中心だったため

子供に執着ありませんでした...あれば「離婚」は切り出さなかったでしょう

そのため、親権争いをする必要がなかったことは,元夫に感謝

 

ー学校

 住所と保険証、引き落とし口座の変更のみ、即、行なった

 今は両親が揃っていないことが珍しくないからか、理由を問われることはなかった

 ただ変更さえすれば良かった

 

 全て、父親の存在を消すことは、元夫にとっても子供たちにとっても

かわいそうだなと思ったので、学校からの封書はいまでも、ここにはいない父の名前で届く

 

ー戸籍

 私は、夫の籍から抜けるので、新たに戸籍をつくらねばならない

子供たちの籍まで抜いてしまうことが、全く子供達に興味のない元夫の親としての意識を

より喪失しかねないと思い、子供たちは父親と同じ籍のままにしている

 私の新しい戸籍は、彼らと全く同じ住所にした(戸籍でも子供と一緒がいいから)

 

   ところが、元夫は新しい奥さんと新しい籍を設ける際に、私と一緒の住所が嫌なためだろう

子供たちの籍も一緒に何も言わずに戸籍地を変えてしまっていた

 サラッと聞くと、何か問題?と思うかもしれないが、親権者の私になんの許可もなく

移動したことにものすごい怒りを覚えた

ただ、基本身勝手な人なので、そう言うことしても、「怒るだけ無駄」

 

ーカード、新しい住所での公共料金手続き、アマゾン手続き、などなど

 これまで一切頼り切っていた支払い関係

簡単にネットで手続きできるが、なかなか大変な労力を要した

結局慣れないことをするから非常に疲れるのだ

こう言ったことに関しては、もっと自分で行うべきだったと

なんでも夫に任せ切ってしまうのは良くなかったと反省した

 

ー引越し

 これが一番大変だった....ほんっとに大変だった....2度としない

家具や食器類をかなり処分せねばならず、なんでも商品買取のお店、ブランド買取のお店、

 

(売れても二束三文  家具も電化製品も衣類もブランド品も購入1年以内でなければ

プレミアム付き以外は全てただ同然と学ぶ)

 

廃棄処分手続き、片付け、引っ越しの手続き、

本当に大変だった

手続き日程調整お金の面、全部自分一人で行った

この時は、元夫のわがままで「離婚」するのになんで私がこんなに

「精神的」「体力的」「金銭的」に大変な思いしなくてはいけないのかと怒りで泣いた

 

 とにかくなんだかいろんな手続きをした記憶があります

 

 ただこの一連の「面倒な手続きを滞りなく行う」ことは

子供の手紙でも、ささっと読んでマルしてはい!な性格でしたが

「一つ欠ける/間違える」とまた最初からせねばならないことが

「時間と労力の無駄!!」を学び、今では「丁寧に読む」癖がつきミスが減りました

(ミスゼロ目標)

 これは「離婚」で得た大きなメリットの一つです... 

「母が事故で突然いなくなった日」20151213

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 2015年12月13日...

 その日は、母が大ファンの羽生結弦選手がまた歴代最高点を出すのではないか!という

日本中が歴史的な瞬間を期待した日であった。

 

 海外での大会なので昼には結果はわかっていた。インターネットが使えない母にすぐにその結果を伝えてあげようと思ったのだが、夜の放映を楽しみにしているだろうとやめておいた

 ....電話すればよかった

 夜の8時ごろ、実家から電話。母が羽生選手が連続最高点の歴史を塗り替えてる!と

興奮して電話してきたと思った

 

 「ママよかったじゃ〜ん!」と携帯取るなり言ったのだが、電話の相手は母と同居の兄だった

 「お母さん死んじゃったよ、交通事故で死んじゃったよ」

こういう時の返事の仕方ってあるんでしょうかね

「何言ってるの?本気で言ってるの?」とかなんとか、なんとなく言った感じ

 

 兄は冗談を言う人ではないし、私に電話かけてくることは今まで一度もなかったので

嘘ではないことはすぐにわかった

 

 あとは頭の中の脳みそが大荒波の海のように荒れ狂っている感覚を覚え耳鳴りがし、

とにかく実家に向かわねばと。

 幼い子供たちに「慌てないでね、おばあちゃま交通事故にあったみたいだから、ちょっとお留守番してて」とだけ精一杯言った感じ

 

 元夫は仲間と飲んでいたので訳を話してすぐ帰るように伝えた

 

 あとは、タクシー捕まえて2万円くらいの距離を、走っている間ずーっと

車内でぶつぶつなんか言ってたような記憶

 

 行き先は母が搬送された病院。実家からかけ離れた場所にある病院。

なんでこんな遠い病院に連れてくるんだろうか、すごく憤った。

もし、近くの病院なら死なずに済んだかも。

なぜなら母は近所を散歩中に事故に遭ったから

 

 「あの日」は「人生で一番衝撃的で忘れることはーあり得ない日ー」にもかかわらず

自分でもびっくりするほど多くのことを冷静に淡々と考え頭の中を整理していた

 

 取り乱して、大騒ぎして、大泣きして、加害者を罵って、我を忘れるほど錯乱したら

その後の私はどうだったのだろう

 もしあの時、感情をもっと剥き出しにしていたら、その後に全身で感じた

自分の存在はどこにある?と言う浮遊した感覚の「所在なさ」を感じることなく

そして、頭痛と鬱を何年間も抱えることなく過ごせてたかもしれないのではないか...

 

 あの日は「衝撃的」で「私の死生観」「私の人格」に影響を与えた

 「記憶に“激しく”残っている、あの日」となった

 

 

アラフィフ離婚:「子供たちに『離婚したこと』言えない」

 

こんにちわ

アラフィフ「離婚」のSallyramです

 

 実は「離婚」にあたって私がどうしてもできなかったことが1つあります

それは、

ー子供たちに「離婚」を伝えること...です

 

 これは私の大きな反省です

子供たちはすでに中学生だったので

お父さんと一緒に4人揃ったところで、「離婚」について話し合うべきでした

ところが、何が起きているのか自分のことなのに状況を飲み込めていない私には

「子供たちに伝えねばならない」とは全く思いつきませんでした

 

 ただ、元夫には「あなたが離婚希望したのだから、あなたが言うべきだ」と

離婚前に言いました

しかし結果的に、彼は子供達に「何も」言わずに出て行ってしまいました

 *********

「離婚」後、子供たちと新生活を始めてからも

私からきちんと伝えることができませんでした

ーただ怖かったから

自分では「離婚」した実感がどうしても湧かず

現実として受け入れられていなかったから「怖かった」のだと思います

 

 子供たちは「離婚」を知らずに数ヶ月いたわけです

私はその重大な問題を見て見ぬふりをし、仕事の厳しさに打ちひしがれ、

おそらく3人で精神的に不安定な状態でしばらく過ごしていたと思います

 

 次男は話の流れで、「離婚」を知ることとなります

長男より先でした

ー最初は絶句していました

ー言葉を失っていました

 

 数日して「シングルマザーってかっこいいじゃん」と...

一所懸命考えて私のことを気遣ってくれた言葉です

 

 この時は、なんて言っていいかわからずぐっと涙を堪えてしまいました

ー本当に子供に申し訳ないという気持ちと

ーこんなに大人になっていたんだという感動の気持ちと...

 

  子供に気を遣わせてしまったことに自分を恥じ 

やはり「離婚」は踏みとどまるべきだったのではないかと

後悔しました

 

 長男は、薄々わかっていたようでした

ただ、何も言わず、ずっと普段と全く変わらない様子でいてくれました

彼は他のことに気持ちを向け、触れないようにしていたようです

 次男が知ることとなったので長男にも

2人で話している時に、

「ママは離婚したけれど、ごめんね、ママと一緒にあなたがおうち守ってね」というと

普通に「うん」と答えてくれました

そう答えるしかなかったと思います

 

 「離婚」をする前に子供たちに伝えられなかったということは

間違っています

 子供たちを「子供」ではなく「一人の人」として考えるべきでした

*******

 今はお父さんがすぐに再婚したことも知ってます

「それはそれ」

「お父さんは変わらずお父さん」と

それぞれが連絡を取り合っているようです

 

 

アラフィフ離婚:「仕事探し」

 専業主婦の16年間

お手伝い程度で接客をしたことはあるが

定期的に仕事をしたことはない

 

 経済的な合意はしたが慰謝料はなかったので

自分自身で自分の生活分は稼がねばならない

子供が巣立った後も、当然経済的自立は続けていかねばならない

長く続けられる仕事を選ぶ必要がある

 

仕事選びの条件としては

ーパート(社員として働きながら子育て家事の両立の自信がないため)

ー時給が良いこと

ー健康保険等の福利厚生がしっかりしていること

ー住まいから近いこと

 

 しかし、自分が条件つける前に

50歳を超えて仕事を選ぶこと自体難しかった...全くない..

「手に職」はなく、かつ長年のブランクが、より職探しの領域を狭めた

 

 どうしてもこれまで自分が関わってきた仕事に近い仕事をしたかった

ー経験あるから安心

ー好きな仕事

しかし、勤務時間、年齢条件など 何もクリアできなかった

 

 そこで「視点を変える」ことにした

上記4点を中心に探したところ

年齢を問わず、家にも近く、福利厚生があり、時給も悪くない仕事を見つけることができた

 

 この時「見方を変える」「視野を広げて考える」ことがいかに大切か、実感した

 

 離婚の話が出てから、虚になりながらも職探しを4ヶ月ぐらいした

 

 履歴書はネット上で10社近く出したー全て断られた

封書で履歴書を送った3社から面接連絡ありー3社とも幸いにも合格した

その中で、4つの条件にぴったり合っているところに

ほぼ契約社員の形で採用していただいた

 

 この経験をしている最中に強く思ったことは

ー「結婚・妊娠・子育て」が理由で仕事を手放さないー理解ある会社・職種を選ぶ

ー女性の自立を促す社会でなければならないー女性自身も自立の意欲を高める必要がある

 

 今更戻れない過去に執着することなく、前へ前へ進まねばならないと

全て自分から始まった出来事なのだから人のせいではない

 

そう思い始めたら、少しづつ気持ちが前向きになった

 

仕事は1ヶ月の研修からスタートした

しかし、涙が出るほどなかなかの過酷な研修となった....

 

 

 

 

 

今週のお題:マグロの取り合い「喧嘩の手巻き寿司」〜子供時代の思い出〜

 回転寿司のおかげでとても身近になった「お寿司」だが

私の子供の頃は、お寿司は目の前で握ってもらうのが「お寿司」だった

値段も高いことから簡単には連れて行ってもらえなかった

 

ー高級

ー美味しい 

 

そりゃあ食べたい

なかなか叶わない希望を叶えてくれたのは

やはりいつでも「母」だった

 

 お祝いの時には、今は亡き、その「母」がたくさんの、いろんな種類の具材で

手巻き寿司を用意してくれた

 私のベストワンは、なんと言っても「マグロ」

「マグロ」さえあれば良かった

 

そして「マグロ」は父や祖母、兄も大好き

当然取り合いになる

 

他にも「いくら」や「うに」など、皆が好きなものがたくさんあるのに

なぜか「マグロ」が取り合いになる

 

そして、子供の私と子供っぽい「祖母」で最後の一つを取り合うのだ

毎回母に「おばぁちゃまに譲りなさい」と言われるが

「なんであたしが子供なのに大人に譲らなきゃいけないんだ!」とごねる

しかし最終的には、説得なんだか強制なんだか

最後の一つは必ず!「祖母」のものになる

「祖母」は全く「当たり前」の顔つきで頬張っていたのが

ほんとに頭にきて拗ねていたものだ

 

今では、私の情景に浮かぶ人たちは目の前にはいなくなってしまったが

叶わなくなってしまった家族の風景だからこそ

より鮮明に....あの当時は怒りの場面だったが

今は、微笑みながらも涙が出てしまう、温かくも寂しい情景の思い出となってしまった

アラフィフ「離婚」:理由

こんにちは

Sallyram 54歳 高校生の男子2人と犬と猫

「離婚」は2年前

ひとまわり年下の元夫からの申し出で 16年の結婚生活にピリオド

「離婚の理由」は 正直 よくわからない...わからなかった...

(結局は半年後に彼が再婚したのでそうことか....あとで知る)

当時は わからないまま話が進んでしまった

ー なぜなら私は極度の「更年期鬱」に陥っていたから

(まともな判断能力なし 論理的思考なし 全てマイナス思考)

ただ 「家庭内別居」状態が「快適」と感じていた時点で

完全に夫婦関係は終わっていた

 

私は子供が大きくなるまでは

自分が自立の用意ができるまでは

と思っていたので

 

彼から突然「離婚しなぁい?」と言われた時は

「お茶しなぁい?」と言われたと思った  ほんと  そのくらい「軽かった」

 

当然お断りしたのだが

ー 彼がまだ40歳になったばかりということ  

ー 私が妻としての役割を果たしてないということ

ー 10年後も一緒にいるのは 無理 考えられない ということ

ー 彼にとって子供は一切眼中にないと はっきりわかったこと

ー 私も10年後の自立は難しいだろうと思っていたこと

ー 一定の金銭的条件をのんでくれたこと

 

などで離婚した

ー「離婚しなぁい」の半年後である